マクロビオティック食の習慣化
人体に備わった自然な排出作用の限度を超えて、“過剰なるもの”が
蓄積されると、血液やリンパ液の質の悪化を媒介として、心と体が
同時に病気へと進んでいくわけです。
これを回復させるには、“過剰なるもの”の摂取をコントロールし、
血液やリンパ液の質を正常に戻す以外に方法はないといえます。
これを同時に実施できるのが、マクロビオティックの実践と
その習慣化にほかなりません。つまり、マクロビオティック食に
よって食をコントロールし、人体をくまなく巡る血液やリンパ液
の質を改善することができれば、その影響は肉体だけではなく精神
(性格や考え方)にまで及ぶのです。
病気とは何か
病気とは何かを一言でいうと、自らの内に蓄積された
“過剰なるもの”が外に排出されないために、あるいは
何とか排出しようとする過程であらわれる現象にほか
なりません。人は身体一如(心と身体は切り離せない
一つのもの)ですから、この現象は肉体にも精神にも
共通しています。
人が好戦的になるのは、病気の進行段階の一つである
「感情障害」(イライラや怒りなど)のあらわれであり、
また力によって問題を解決しようとする性向は、さらに
病気が進行した段階である「傲慢」のあらわれなのです。
どちらも精神的領域に蓄積された“過剰なるもの”が、
危険な感情や行動となって放出されたものであることに
変わりはありません。
この“過剰なるもの”は、食の摂取における量的過剰(食
べ過ぎ)と質的過剰(偏食。ことに肉類、動物性食品、
甘いものの恒常的摂取、あるいは有害物の摂取)によって
蓄積されます。
病気をその根源から治癒できる方策は
病気の根本的原因は、自然の摂理・宇宙の秩序から逸脱した
食生活にこそあります。したがって、対症療法を基本とする
近代医療で、その原因のあらわれである患部を切除したり、
部分的に疾病の発症を抑えたりしても、病気の原因を取り除く
ことはできないのです。
たとえ治療によって疾患がなくなったように見えても、
発病以前と同じ食生活を続けていれば再発するのは当然と
いえるでしょう。同じ食生活とは、いうまでもなく動物性食品
や甘いものや化学的に加工された食品などの摂取過多のことです。
であるなら、病気をその根源から治癒できる方策は、
マクロビオティック食による食生活の抜本的改善と、
それを通じた調和の回復しかありません。
サラダを食べる西洋の食文化
野菜を調理もせず、単に切り刻んで食べるサラダはヨーロッパ、
それも北欧を起源とする食習慣です。
北欧は肉食の最も盛んな地域で、肉食で熱くなった身体を冷やす
ために、別の表現でいえば身体を中和させるためにサラダが必要
だったのです。こうした食文化に対し、古来から日本は、玄米食
を通じて身体に必要な脂肪分やタンパク質を摂取していました。
だから、ことさら肉食を身体自体が要求せず、したがって身体を
中和させるためにわざわざ生野菜を切り刻んで食べる必要もなか
ったわけです。日本の伝統的な食文化は、穀物を全粒で食べる文化
を維持し続けただけではなく、納豆や味噌、醤油など素晴らしい
食品を発明するとともに、野菜を食べる方法として何百種類もの
漬物までつくりあげたのです。西洋で発明された漬物は、
サワクラウト(キャベツの酢漬け)やピクルスなど、せいぜい
10種類くらいしかありません。ほんの一例ですが、日本の食文化
が圧倒的に優れていることを示す典型的な例であることは確かです。
穀物は粒のまま食べるのが最良の食事法
穀物本来の良さを100%引き出すためには、どのような調理法がいいのか。
それは、粒のまま水炊きにして食べることです。
穀物を精製せず(米なら玄米で)、という形が最良なのはいうまでもありません。
というのも、たとえば米を精白すると、ミネラルをはじめとする大切な栄養分
がそぎ落とされてしまうからです。
玄米を精製せずに全粒で食べた場合、必要な脂肪分は十分体内に摂取されますから、
それ以上の脂質を食べる必要はありません。
にもかかわらず、肉食などを通じて過剰に脂肪を摂ったり、過食によって摂取した
余分なデンプンやタンパク質が脂肪になるため、それが心身の不調和の原因に
なってしまうのです。
炊飯した玄米を主食として適切な量食べ、あとは野菜や豆類、海藻類、季節に合った
果実を適宜副食として食べる。これが日本の伝統的な食文化であり、マクロビオティ
ックが理想型とする食事内容なのです。
肉食の習慣
獣肉は一般にスタミナ源と信じられていますが、
これは肉食が人間の獣性を高める結果でしかありません。
つまり肉食は、その人に過剰な活力を与えるとともに、
思考を凶暴化させる傾向が強いのです。
東西の歴史を比較してみてください。
古来より肉食の習慣を強くもった民族が、穀物中心の民族に比べて、
いかに数多くの血なまぐさい殺戮の歴史を繰り返していたかという事実が、
このことを雄弁に物語っているのではないでしょうか。
食(およびその調理法)と心・思考との関係は、これほどまでに深く結び
ついているのです。
食と人間性とは深くかかわっている
穀物を主食としていた欧米の伝統的食生活が、なぜ完全ではないのでしょうか。
それは、穀物を粉にして食べるからです。
洋の西ではその粉でパンをつくり、洋の東西の中央、今でいう中近東からインド
にかけての地域ではその粉をチャパティにして食べます。
しかし、穀粒をつぶすと酸化が進み、せっかくの穀物が変質してしまうのです。
それだけではありません。パンにすると動物性食品であるバターや甘いジャムが
欲しくなるし、チャパティではどうしても香辛料が欲しくなります。
つまり、元来必要でないものまで食生活に呼び込んでしまうわけです。
実は、穀物を粉にして食べることは、その人達の体質、ものの考え方や行動パタ
ーンにも大きな影響を及ぼします。
人間の食の基本
人間の食の基本が穀物であることは、
なにも学問の研究調査の結果を待つまでもありません。
人間の歯を調べれば一目瞭然なのです。
人間の歯の大部分を占める小臼歯と大臼歯は、
一般に穀類や豆類、さまざまな種子を噛み砕く
ためにつかわれる歯ですが、これは合計20本あります。
次に多い門歯は野菜などの植物性食品を噛み切るために使われ、これが8本。
そして動物性の食物を引き裂くのに使われる犬歯は4本しかありません。
つまり歯の構成から考えても、人間が太古の昔からずっと穀物を主食とし、
副食としては野菜を中心にして食べていたことがおわかりいただけるでしょう。
また、歯の構成を植物性食品用と動物性食品用とに分けると、その構成比は7対1です。
この比率は人間が生命を維持するためには、肉などの動物性食品は必須ではなく、
あくまで任意で少量だけ選択する食品にすぎないことを示しています。
量的にいえば、動物性食品の摂取はせいぜい全体の七分の一程度で十分なのです。
つまり、穀物こそが人間を人間たらしめている根元的な食であり、穀物なしに人類は、
存在しえなかったといっても過言ではないでしょう。
マクロビオティックの言葉の由来
マクロビオティックという言葉は、ソクラテス以前から使われていた
ギリシャ語の「マクロバイオス」に由来します。
ヒポクラテスはこれを「自然の秩序と調和のとれた生活をすることに
よって、健康と平和な心が保たれること」との意味合いで使っていましたが、
一般には「マクロバイオス」とは「大いなる生命」という意味です。
「大いなる生命」を自らの内に体現するには、「宇宙の秩序」を感得し、
それに同期(シンクロナイズ)すること、そして自然と調和した生活を
送ることが必須要件となります。
マクロビオティック食は、それを実現するための欠くべからざる
方法・手段にほかなりません。
世界中の人達に向けて、この「大いなる生命」の発言を促し、できるかぎり
多くの人々が心身ともに健康になることを通じて、人間に固有の精神性や
スピリチュアリティをさらに高め、あまねく世界に恒久的な平和を実現
すること。これこそが、マクロビオティックの究極的な目標なのです。
マクロビオティックの究極の目標とは
「マクロビオティック」といえば「ああ、食事療法のひとつだね」
と理解されている方が多いのではないでしょうか。
たしかに、それは間違いではありません。
マクロビオティック食はアメリカを中心に全世界で、
健康の維持向上、難病の克服、さらにはダイエットなどを目的
として、じつに多くの人達が自分達の食生活に採り入れ、
多大な成果をあげています。
また、マクロビオティックの考え方に賛同する人たちが、
世界のさまざまな場所でマクロビオティック食の普及に取り組んで
いることも事実です。ただし、マクロビオティックは、単に
身体を健康にすることだけが目的ではありません。
身体と同時に、心までも健康にすること。心の健康を通じて、
人間本来の穏やかさ、優しさを取り戻すことが、マクロビオティック
が目指しているものなのです。